Bitchな私にバイバイ



2020年10月20日
桑原恵美


 

産後ドゥーラの桑原恵美です。

 

私はこの仕事を始める前は、一部上場企業の経営企画系の部署におりました。

誰もが名前を知る企業で、
オフィスは六本木ヒルズ→ミッドタウンと移転し、
福岡出身で大学で東京に出てきた私としては、
「私、イケてる♪」
とミーハー心が満たされておりました(笑)

当時の私(30歳前後)はブランド物で身を固め(特にシャネルとヴィトン)、
“人からうらやましがられてなんぼ”で生きていました。

新築で購入したマンションのキッチンで料理をすることは皆無で、
週の半分は残業、週の半分は飲み会か誰かと外食かデリバリーで、
部屋は、モデルルームのイメージをキープしておりました。

そして長男が生まれ、
保育園にも無事に入れて、
今度はワーキングマザー。

マザーズバッグはもちろんヴィトン。

子どもが二人いるのが理想の家庭像、
子どもは私の理想をかなえるためのアクセサリー、
くらいに思っていました。

そして、22時まで働く日があろうとも、所謂「育メン」な夫と二人三脚で
ワークライフバランスは保てておりました。

そして離乳食が始まり、その時からキッチンを使い始めたといっても過言ではありません。

 

そして次男が生まれ、先天性疾患を持って生まれてきた彼のおかげで、
今までの価値観の根本が覆されました。

あえて「おかげ」と言えるのは、
今、当時の自分をBitchと言えるからです。
※Bitch=ヤな女、(言葉悪いですが)クソ女、みたいな・・・そんな感じです

 

所謂「障害児」を授かると、
正直、想像を絶する体験ばかりだし、
想像を絶する大変さがあります。

でもそんな体験を10年間乗り越えてきた私が確実に言えるのは
(今もまだ乗り越えている途中かもしれませんが、
それは未来にならないとわからないですね)
今の私の方が好きだし、
今の私の方が楽に生きてる。

長くなるので今日はこの辺で。
次回はこの話を掘り下げて書いていこうと思います^^

 

 

 


桑原恵美

一部上場企業で、経営企画系やM&A関連の業務などに携わり、長男を出産後も共働きでかなりハードなワーキングマザーだった。しかし先天性疾患がある次男の出産を機に思い切って退職し、子育てに専念していた中で「産後ドゥーラ」の存在を知る。 これは、産前産後の心身共にセンシティブな母親に寄り添い、支える仕事。 赤ちゃんのお世話はもちろんのこと、料理や洗濯などトータルな家事、上のお子さんのケア、そして母親の心のケアなど、ジャンルの垣根なくサポートを行う。 前職では家で仕事の話をしたことはなかったが、今は子どもが話を聞きたがる。 クライアントだけでなく私の家族も喜んでくれるのが、働く原動力になっている。



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