ピンチはチャンス…決別そして出発



2021.04.03
鈴木 アヤ子


数回にわたり長々と書かせていただきましたが、今回が最終編です。

迷走していた私に転機がありました。

家庭内のゴタゴタの影響か娘が体調不良で救急車で運ばれました。

家から6キロ程度の海の近くの救急病院でした。

運ばれた時は父親である夫に知らせる為に息子に電話で状況を説明させていましたが、処置が終わり再度電話をした時には電源が切られていました。

その時はっきりとわかりました。

夫は私だけでなく子供達も捨てたんだと。

  

その時までは心の中ではもしかしたら夫は帰ってくるかもと淡い期待があったのかもしれません。

しかし父親である夫は娘の安否もわからない状況下の中電話の電源を消したのです。

帰りの寒いタクシーの中3人で生きていこうと決心しました。

この子たちに悲しい思いをさせないように頑張ろうと誓いました。

検診バイトをしながら歯科医師として働けるために沢山面接をしました。

歯科医院での就職が決まった時は床掃除からなんでもしました。

自分の甘さに負けないように歯を食いしばり仕事をしました。

遅れを取り戻すために北は北海道、南は沖縄までどこでも勉強会に参加しました。

勉強するにつれとても楽しくどんどんのめり込んでいきました。

今思えば学びは心の空虚さを埋めるための薬のようでした。

その間子供たちは忙しくなった母親を応援してくれました。

帰宅するとテーブルに応援の手紙があったり暖かいコーヒーを入れてくれたりと嬉しい励ましがありました。

そんな生活が5年経った頃

歯科医師としての自信もつき開業を決めました。

離婚時に約束された生活費は一回も支払われることはありませんでした。

せめて環境だけは維持したいとマンションも夫から買いました。

頼ることができなかった分頑張ることができましたし、

これからも頑張り続けることができます。

どんな状況になっても、もう取り乱したりしません。

私は変わりました。

 

そして現在10年が経ちました。

今では歯科大に通う成長した娘、息子、そして3匹の猫と落ち着きを取り戻した生活になりました。

色々とややこしい事だらけでしたがこれも私の人生の為には必要な事だったと思います。

18年という短いのか長いのかわからない結婚生活でしたが今は不思議に元夫に感謝の気持ちも芽生えています。

結婚生活は共に築く物

壊れたのはお互いの結果と受け止めています。

 

 

 

 

 


鈴木 アヤ子

歯科大を卒業し歯科医師免許を取得するが、まもなく結婚し専業主婦となる。40代半ばでの離婚を機に、突然母子3人家族となる。生活のために、「自分の武器になるのは歯科医師の免許しかない」と一念発起。歯科医院で新米見習いとしての仕事を見つけ、下働きをしながら厳しい研修の日々を送る。やがて努力が実を結び、東京・江戸川区で『西葛西クララ歯科医院』を開業。女性の目線に立った、気配りのある歯科医院として地域に親しまれている。


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