パリコレで「写ルンです」⁉ サンローランオートクチュール珍道中



2020年10月20日
長田広美


 

サンローラン・オートクチュールのランウェイを忠実に再現する仕事

1985年頃だったと思います。当時、西武百貨店傘下の西武ピサでは、イブ・サンローランのオートクチュールをライセンスで扱っていました。
ライセンスとは言えオートクチュールですから、一から作る以上ほぼ本国のものと同じドレスができるわけです。

当時、私はスタイリストアシスタント。私の師匠は、その、サンローランオートクチュールのショーをスタイリングしていました。

スタイリングといっても、サンローランオートクチュールの服に独自のスタイリングをほどこすのではありません。パリで発表されるオートクチュールコレクションのショーと同じスタイリングを忠実に再現するというものです。

そのため、パリコレに行って、西武ピサが買い付けるデザインについてのスタイリングを全て写真などに記録してきて、それを元に日本で素材調達から始めてそっくりのアクセサリーや帽子や合わせる小物たちを製作し、そのスタイリングを再現するのです。

サンローラン氏への敬愛がハンパなかった私の師匠は、合わせる小物たちを限りなく本物に近づけることが至上の使命であり喜びであったようでした。

注釈しておくと、今はこんなことはあり得ません。ショーでハイブランドの服にコーディネートする小物は必ずそのブランドの小物でなければならず、厳格に管理されています。
30年以上前はまだまだその辺りはゆるかったんですね。

 

パリコレde’写ルンです’珍道中

アシスタントとしてパリコレに連れて行ってもらった私の仕事は、一体残らず全てのルックを、そのスタイリングがちゃんとわかるように写真におさめることでした。
プロの取材カメラマンたちと重なり合うようにランウェイにへばりつき、ひたすら写真を撮りまくる。

そしてなんとその時使っていたカメラは、あの‘写ルンです’でした。

Enzo AbramoによるPixabayからの画像

ほんと、笑っちゃいますねぇ。

デジカメもスマホもないその時代、普通のカメラも持って行ってはいたものの、次々とランウェイを歩いてくるモデルを全て収めるのに、途中でフィルムチェンジしてる暇はないということで、カメラのフィルムを撮りきったら次は‘写ルンです‘で撮る、ということで、いくつも用意した‘写ルンです‘で途切れることなく撮り続ける、という作戦でした。

かなりギャップな絵だったと思います。
80年代、押しも押されぬパリコレ界の帝王、サンローランのオートクチュールのランウェイで、プロの取材カメラマンたちに混じってアジアの少女(24歳くらいでしたが、どうしても少女にしか見てもらえない)が必死で‘写ルンです’と格闘している。

まあ、怖いもの知らずというか何というか、あんな貴重な体験はなかったなぁと、今となってはネタのような思い出です。

そして、ランウェイに全てのルックが出尽くして、フィナーレで帝王ムッシュ・サンローランが出てくる。いつものように少しはにかんだような表情でありながらも威風堂々のオーラをまとってランウェイを歩いてくるムッシュ・サンローラン。

そして海外のコレクションでは、フィナーレでデザイナーがランウェイに出てきて挨拶をすると、裏に戻るデザイナーについて取材陣も一緒にバックステージになだれ込みます。

私もその波に乗って一緒にランウェイによじ登り、バックステージへとなだれ込みました。
帽子や手袋やアクセサリーなどの小物をじっくりと間近で写真に収めるためです。

すぐ横ではショーを終えた直後のムッシュ・サンローランが記者の皆さんに囲まれてとてもにこやかに取材に応じている。
どうしてもそちらに気を取られつつも、ひとつひとつの小物を‘写ルンです’で撮っていきました。

パリコレでは他にもいくつかのブランドを手がけていた師匠に付いて、滞在中一連のコレクションの仕事を終え、日本に帰ってからがさぁ、大変でした。

 

帰国後の仕事は蛇の皮を染めること

日本で行うファッションショーの準備が始まりました。

パイソンという蛇の革をきれいな色のグラデーションで染めたクラウン(帽子の頭にかぶる部分)に、フェルトのつばのついたカンカン帽の形の帽子を何色も作らなければなりません。

最近は、個人情報保護の観点から、というか電話番号を調べる、という行為自体があまり必要のないことになったためか、電話帳に電話番号を載せる人が減り、電話帳も月刊ファッション紙くらいの薄さになりましたが、当時は電話帳といえば「分厚いもの」の代名詞でしたね。

まずやったのは、その電話帳で東京都内の皮屋さんを探して片っ端から電話をかけること。
質問はふたつ。

「蛇の皮はありますか?」
「小売りはしてもらえますか?」

そうやって、お目当ての皮を売ってくれそうな問屋さんに目星をつけて訪ねました。どこだか正確には記憶していないけど、確か浅草界隈の店でした。

そして、こんな帽子を作りたいと、‘写ルンです‘を現像した写真を見せると、「皮はあるけど、こんな風に染めるの、出来るかなー?どうかなー?まあ、染め屋を紹介するから行って聞いてみれば。」と、親切に電話をしてくれました。

場所を教えてもらい、次は染め屋さんへ。

たった今買ってきた皮を写真のように染めてもらうことができるかを聞きます。そしたらなんと帰ってきた答えは、
「自分でやったら?」
「えー?? 自分でって、私が、ですか???」と目が点になる。

確かに、グラデーションで染まっているその帽子の染めはとても繊細で微妙なニュアンスです。普通は皮一枚を一色でムラの無いように染めるのが仕事の職人さんにしてみれば、たぶん、むらなく一律に染める方が職人技を必要とすることで、絵画的な感性でグラデーションを描くのは、本人がやった方がいいというプロの判断だったのでしょう。

そして写真を見ながら、この色を出すためにはこの色とこの色を使う、とか筆の使い方、描きかたを丁寧に教えてくださり、必要そうな色の染料を小分けにして分けてくれました。

そして「お代はいいよ。」と。

なんという下町人情!
確かに、そこは染め屋さんであって染料屋さんではないのだから、染料には値段がついてはいないわけですが。
どうやったらその帽子の素材が調達できるのかという私の小さな肩にのしかかっていた難題を丁寧に教えてくれて解決してくれたこの、決して短くない時間が、「お代はいいよ」って、なんてプライスレス!

パリからずーっと続く緊張で、知らず知らずに張りつめていたらしいアシスタント小僧の私は、そのあったかさに泣きそうになりながら大きな収穫を抱えて事務所に帰りました。

 

たくさんの支えや助けがあって出来てきたのだなぁと、今さらながら感謝

こういうことはいつまでたっても忘れないですね。
こうやって、それはそれはたくさんの人に直接的にも間接的にも支えられ、助けられながら仕事が出来てきたのだなぁと思うと、胸の奥がふわーっと熱く、何とも言えない気持ちになります。

30年分も積み重ねたら、どっちの方角にも足を向けて寝られませんね。

パリコレde‘写ルンです‘の大笑いエピソードを、と思って書き始めたのですが、ここまで書いてきて、こうやって出会ってくださったたくさんの方達とのご縁の上に仕事をさせていただいてきたのだと、改めて思い至り、神妙な心持ちになってきました。

有り難いご縁にしみじみと感謝を思っているところです。

 

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長田広美

コレクションやファッションショーを中心としたスタイリストとして活躍。 独立後30年間で関わったブランドはDior、CHANEL、VALENTINO、BVLGARI、Cartier、Van Cleef & Arpalsなど多数。 またアメリカに本部がある国際イメージコンサルタントの資格も持ち、エグゼクティブ個人のイメージサポートも行っている。 ほかにもファッションブランドのイメージビジュアル作成やルックブック撮影、広告ビジュアルのスタイリングなども行う。 そんな彼女が近頃注目しているのは「サスティナブルなファッション」というテーマ。 地球環境や人権に配慮した、新たなプロジェクトを始動中。



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