世界に一つだけの花、ならば
雨宮睦美
『世界に一つだけの花』。ずっとこの曲の歌詞が引っかかってきました。好きな方いらしたらごめんなさい。歌が悪いというより、都合よくエクスキューズに使われていることへの違和感なのです。歌詞に影響された多くの若者が「私は特別なオンリーワンなのである」と思った。そこまではいいとして、拡大解釈して「私はこのままで十分なのである」と開き直っちゃったのだという気がします。
バラやユリじゃなくてもいいの
最初に私が考えたのは、「いいの、私ナンバーワンになれなくても。目立たない小さな花でいいの」と言って、重圧から逃げているけど、構ってほしい人が増えている、という説でした。きっとバラやユリは、称賛や好意をたくさん集める代わりに、美しさを保つため人知れず努力したり、目立ちすぎるゆえの嫉妬とか羨望とかに苦しんだりもしているはずです、想像だけど。で、そうした煩わしいことは避けたいけど、チヤホヤはされたいのよねー、という虫のいいことを言っているのが、「その他大勢」の自称オンリーワンたちなのではないかと。
この説は飲み会などで時々披露したものの、あまり共感されることもありませんでした。まあ私がひねくれているのでしょう。
でも最近、新たな解釈を思いついたので、ここに書いてみます。
花屋の店先に並ぶな
そもそも、目立たない小さな花でいいのなら、花屋で売られていることが前提としておかしい。商品は選ばれ、買われることに価値があるものです。でも、花のすばらしさはそれだけじゃない。
店先でニヤニヤしながら「どれもきれいで選べないなあ、参ったなあ。ナンバーワンもいいけど、オンリーワンも捨てがたいよねえ」なんて、キャバクラじゃないんだからさ!という客目線への反発が無意識下にあったのかもしれません。
もっと昔に流行った『野に咲く花のように』という歌もあります。「野に咲く花のように 風に吹かれて」このほうが自然で素敵じゃない?聖書にも「思い煩うな。野の花を見よ」というような言葉が書かれています。
せっかくオンリーワンの花に生まれたのだから、バケツにつかって品定めを待つより、野に咲いて自由に生きてみましょう。
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