白鳥座の詩



2023.04.28
雨宮睦美


8歳くらいのときだったか、私はある日突然ピアノで作曲を始めて、「人形のカーニバル」という題名の組曲を作りました。全容は忘れてしまったし音源も譜面もないんですが、ファンファーレっぽい前奏で始まって、人形が夜中にひそかに踊ったり、ちょっとした事件が起きたりするような曲だった気がします。多分、「人形の夢と目覚め」っていう曲からインスパイアされたんだと思います。発表会で弾いたような記憶もあります。

当時、母が近所の音楽教室でピアノと電子オルガンの講師をしていて、教室がビクターの系列だったから、電子オルガンもエレクトーンではなく(これはヤマハの商標なので)、ビクトロンという名前でした。

その音楽教室の経営者が、どこで聞きつけたのか「お嬢さんは作曲するんでしょう?これに応募してみたら」と勧めてきたのが、ビクトロンコンクールに付随していた作曲コンクール。旋律とコード進行をつけて送るだけだったので、それなら気軽だなあと思い、2曲作って送りました。1曲は「白鳥座の詩(うた)」。夜空を見てもどれが白鳥座なのかなんてわかってなかった(今でもわからない)のに、単なるイメージでつけたタイトルですね。ホ短調の感傷的なメロディーです。もう1曲が「太陽に向かって」。こっちはちょっと勇ましい感じで、もしかして「太陽に吠えろ!」に影響されたのかもしれません(笑)。

 さて、そんな軽い気持ちで応募したら、なぜか「白鳥座」が予選を通過して、本選に進むことになりました。5年生の秋か冬でした。

 本選の会場は東京の中野サンプラザホール。総じてどのくらい作品が寄せられたのか知りませんが、確か全国から5人くらいが本番に集められたのです。私はその頃大阪の吹田市というところに住んでいましたが、「関西地区代表」として東京に行く、というのは子供心に誇らしい気持ちでした。母と中野サンプラザホテルに前泊して参加しました。

 当日は、自分の曲がオーケストラによって演奏される間、舞台に一緒に乗って椅子に座ってじっと聞き入ります。ちょっと気恥ずかしくてずっと下を向いていましたね。今思えばきっと弦楽器中心にアレンジしてくださっていたのでしょうが、演奏はどこのプロオケだったのだろう。何しろ45年以上前のことだから、そのときもし入団したての20代前半だったとしても、現在70歳近いわけです。皆さんがご健在かどうかもわかりません。私は将来自分がアマチュアのオーケストラでバイオリンを弾くことになるとは夢にも思っていませんでした。

 そして本選の結果は2位。賞金で8万円をいただきました。昭和時代の小5にとって8万円なんて、ものすごい大金。確か勉強机を買う費用にしたのだと思います。

 それで作曲を本格的に学んだかというとそんなことは全くなく、その後「霧時計」という曲を作って、これはわれながらなかなかよくできたと思いましたが、そこまでだったかなあ。

https://www.facebook.com/mutsumi.amemiya/

 


雨宮睦美

マーケティングプランナー、モデレーター(インタビュアー)。 東京都出身。 1988年青山学院大学文学部卒業後、博報堂に入社しました。 国際業務局(4年間)、マーケティング局(8年間)の勤務を経て2000年に退職。 2001年に有限会社オルテンシアを設立し、前職の流れでマーケティング業務を請け負ってきました。食品、飲料、化粧品、自動車、通信機器等、様々なジャンルの企業のお仕事に携わっています。中でもインタビュー調査を得意とし、企業トップや大学教授、ジャーナリストや編集者等の有識者取材を始め、一般消費者へのグループインタビューやデプスインタビューなどで、これまでに話を聞いた人の数は、のべ数千人を超えます。


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