母の祥月命日に想う
田中壽美子
皆さん!! ごきげんよう!!
ライブコマースプロデューサー
「伝わる・伝え方」を教える専門家の
田中壽美子です。
祥月命日
今日、4月6日は母の祥月命日です。
18年前の今日、17時07分に
眠るように旅立ちました。
母の名前は袈裟と言います。
朝早くに産まれたそうで、
袈裟(けさ)と名づけられたそうです。
母はこの名前があまり好きではなく
けさ子と変えていました。
5人兄弟の長女
終戦迄の20年間を朝鮮の
水原という地で過ごしました。
自然に囲まれ、とてもよいところです。
父親(私の祖父)は昔の国鉄のお偉いさん
朝鮮人の使用人に
靴まで履かせてもらうという
お嬢様だったようです。
戦争で若い女性が
もんぺをはいている時に
母はスカートをはき
マニキュアまでつけていたと
聞いています。
親が決めたいい名づけと
映画に行ったり、
女友達を家に呼び
食事会をしたりと
自由気ままな生活をしていました。
でも、お嬢様だったのは
終戦前まで、
終戦になると使用人が
手の平を返したように
凶暴になり、命からがら
かんぷ連絡船で日本の故郷、
岩手県水沢市(現・奥州市)に
帰ってきたそうです。
地獄のような人生
人生はここから地獄のような
日々が始まったと聞いています。
そんな母は、帰国してからは
無理がたたり、病弱に
なったようです。
でも、いつも夢があり
夢に向かって生きていたような人でした。
何時しか、母は自分の夢は
叶わないかもしれないと
思ったのでしょう。
母の夢は、私の夢
母の夢は、私の夢になりました。
叶わなかった母の夢を
娘の私に託したのです。
赤ちゃんを抱いているのが母、
後ろは父と母の妹達
赤ちゃんは私です。
私に教えたかった女性の生き方は
母が思い描いた生き方なのかもしれないと
最近になって思うようになりました。
親子2代、母と共に歩く最高の人生!
命日を迎えるたびに
母に感謝の気持ちでいっぱいになります。
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