エーゲ海に捧ぐ
雨宮睦美
私のゆめ
小学校の卒業文集で「私のゆめ」を書かされました。記入欄はごくごく小さなもので、おそらく「将来なりたい職業を書け」という意図です。当時の私はそれにすごく反発を感じたんです。小学校最終学年になるときに大阪から転校してきて、面白半分で学級委員に仕立て上げられ、右往左往していた私を率先していじめていた担任が嫌いだったから、というのが大きな理由。ことあるごとに目の敵にされて、あげく「中学受験したい」と申し出た時に「塾にも行ってないくせにふざけるな!」と反対するような担任は、教師として失格だと思ったし、今でも思ってるし、あんなおばさんに私の夢なんか知られるのは絶対にイヤだった。
果たして当時の自分が何になりたいと思っていたかも、今となってはわからないんですけどね。
ギリシャに行きたい
で、苦肉の策で考えついたのが、「ギリシャに行きたい」というものでした。私は出席番号が女子で一番目だったために、うちのクラスの女子全員が「●●に行きたい」で続いてしまって、ああ、そういうことじゃないんだよな、って多くの大人は思ったことでしょう。男子は確か「プロ野球選手」とか「宇宙飛行士」とか書いてた気がする。
それほどギリシャに憧れていた、というわけじゃなくて、でも「アメリカ」とか「フランス」だと、ちょっと嘘っぽいよなあ、と思ったような気がします。
池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』(映画は1979年、小説の発表は1977年ですが、小説の舞台は日本だったらしい)もジュディ・オングの『魅せられて』(1979年)も、私が小学校を卒業してからのヒット作なので、どこでギリシャやエーゲ海に興味を持ったのか謎。
大学3年の春にギリシャへ
意外とすぐに「私のゆめ」が実現するチャンスはやってきました。友だちに誘われてイギリスの語学学校に短期留学し、帰りにヨーロッパを回るツアー、というのに申し込んだら、最後に訪問するのがアテネだったのです。
せっかくだから、「エーゲ海クルーズ」というオプショナルツアーにも申し込みました。ワクワクしていましたが、船がどこまで行っても、景色は「伊豆ですか?」っていう色合いで、あの青い海、コントラストがまぶしい白い建造物はどこにもない。大型船だったけど、ツアー参加の学生たちが船酔いでそこそこにばたばたと倒れていて、船内には恐ろしい光景が広がっていました。私も乗り物には弱かったはずなのに、なぜかこの時は平気で、酔わなかった人たちとトランプして遊んだ記憶があります。
帰りの飛行機は今はないアテネ航空で、キャビンアテンダントは皆岩のように巨大で強い体臭を発するお姉さま方。隣の友人はオリーブ油がつらいと言って機内食に手をつけず蒼白な顔でずっとつらそうにしていました。
結局このアイキャッチ画像のような青と白の世界を、私はまだ見ていないので、そういう意味では12歳の頃の「私のゆめ」は、まだ叶っていないと言えますね。