痛い女
雨宮睦美
子供時代~30代頃まで、わりとよく頭が痛くなっていました。原因はちょっとした気候の変化だったり、体調の不具合で、目を使いすぎたとき、肩こりがひどくなりすぎたときにも起こりました。大人になってからはお酒を飲むと飲んでいる最中からなんとなく頭痛が出てきたり、人や自分のつけている香水で気分が悪くなると同時に頭もずきずき、ということもありました。飛行機を降りたあとも頭痛は出やすかったなあ。
でもいわゆる頭痛薬をのむことには抵抗があって、なるべく我慢して痛みが通り過ぎるのを待っていたように思います。解熱鎮痛剤は身体から排出されにくく、蓄積していく、という説を読んでから、怖くなってしまったのですね。さらに、鎮痛剤は痛みを治すのではなく、痛いと感じる脳に「痛くないよ」と錯覚させるだけなのだ、というようなイメージもあったからなおさら。
もともと痛みには強いほうなのかもしれません(鈍感なだけともいう)。物理的に足をぶつけたり、指を切ったり、猫にかまれたりしたら、痛い!と感じますが、頭とかお腹が痛いのは、まあやり過ごせばなんとかなるか、と思ってしまって、ほとんど痛み止めをのむことがなかった。実際にのまなくても寝込むほどひどい痛みに苦しむことはありませんでした。バファリンくらいは名前を知っていたけど、イブプロフェンとかロキソニンは、確か医薬品の仕事をしたから覚えただけ。
そのうち、いつからか、ぴたっと頭痛が起こらなくなったのです。特に思い当たることはないのですが、ますます薬をのむ必要がなくなってありがたい。痛くならないからますます無理してしまうのはどうかと思うけども。
ところで、「痛い」はそもそも主観的、個人的な感覚だったのに、最近蔓延している「痛い人」という使い方は、本人が無自覚であるほどあてはまる、客観的な言葉なんですよね。「あの人の服装は若作りで痛い」とか、「自分ではかっこいいつもりなんだろうけど、かなり痛い」とか。面白いですね。