私のルーツは?



2021.03.10
寺崎慈子


1人、立っている、座っている、室内の画像のようです
麻糸を作っているところです。

 

私は、糸や布、麻と縁が深いようです。

調布という土地は、布を税として納めていたことから分かるように

布に関する地名が多く残っています。

私が住んで居るのが染地だし、調布はもちろん布田という地名もあります。

 

この調布の地でも、麻糸で織った布が多摩川で晒されていたのに、違いありません。

麻糸の場合、作るではなく績む(うむ)という事を今回知りました。

 

「麻を績み、織ることが出来ないと嫁にもらわぬ」と言われたそうで、

麻を織ることが日常的に生活の中に入っていたのですね。

 

麻糸に適した地、調布

つい最近、麻糸を績む(うむ)講座が我がアトリエで開催されました。

講師の直子さんは麻糸を績むのが上手で、その道の認定もうけておられ、麻糸を広める役割のある方です。

直子さんが、なんで調布なのか分かったと話してくれました。

適度な湿気があり麻糸にとって織りやすい湿度だからだと気が付かれたそうです。

私が、この方たちと出会えたことが不思議な縁ですし、

 

これを縁に、私が長野の麻績(おみ)で産まれたことをふと、思い出しました。

終戦15日前の7月31日に、疎開先の麻績の地で、皆様のご慈愛の元に産まれたと、

父が慈愛の慈をよしこと読むように、名付けてくれたのです。

正に、麻績という地名は、麻糸を績む地=糸を抜いて麻績となったのでしょうね~

 

麻と縁が深いというのはもう一つ、孫の一人が麻心(あさね)と名付けられています。

 

私が名付けたのでなく、娘夫婦が名付けたのですが、これも不思議ですね~


寺崎慈子

50歳のときに大病にかかり、入退院を繰り返す。回復後、与えられた命に感謝するとともに、「これからの人生は自分の好きなように生きよう」と心に誓う。 「自分が本当にやりたいことは何か」と自問自答した結果、“歌”と“織り”にたどりつく。 その後、シャンソン歌手と織物作家になり、両方の夢を叶える。 60歳のときに自宅を改装し、『アトリエ&かふぇ悠遊』をオープン。若い世代に食や健康に関する正しい情報を伝えるべく、さまざまなイベントや勉強会を企画・開催している。


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