初の社会参加



2021.04.21
寺崎慈子


私は40代から、消費者運動をしていました。

子どもを育てている時から「子どもに毒は食べさせられない」と生協の活動を始め

たのですが、生協活動は母となって初めて子連れでできる

貴重な社会参加の場だと思っています。

 

その流れから調布の消費者団体連合会に席を置いていました。

調布市に引越してきて、諸先輩たちの意識の高さにたじろぎながら、

その活動に付いていったというのが本当のところです。

 

テーマは幅広かったのですが「食の安全」と「環境問題」という事が主でした。

食の安全では駅前広場で、ジュースに入っている砂糖の含有量を角砂糖の数で表示して

駅に向かう高校生などに語り掛けていました。

 

又、環境問題では、ごみの最終処分場が満杯になることから

「ごみ減量」を主にやっていました。

 

その頃の吉尾調布市長は「ゴミでは票は取れない」と言われるのに、

しっかり取り組んでくれていました。

 

私たちは、市内のスーパーの店長を呼んで「スーパーバッグを無くして欲しい」

話し合いをしたり、行政の清掃の方と話し合いを持ち、

その頃、先進市のごみ9分別を例に、

取り入れるよう申し入れをしていたのです。

 

紆余曲折はありましたが、結果として私たちの申し入れは聞き入れられ、

調布方式のごみ収集が出来上がったのです。

今から思うと、かなり進んでいましたね~私たち

その後、調布の実績は、東京23区、多摩の各市から見学に来る事となり、

次々に調布方式が広がっていきました。

ですから、私たちは「調布方式のごみ収集」生みの親と自負しています。


寺崎慈子

50歳のときに大病にかかり、入退院を繰り返す。回復後、与えられた命に感謝するとともに、「これからの人生は自分の好きなように生きよう」と心に誓う。 「自分が本当にやりたいことは何か」と自問自答した結果、“歌”と“織り”にたどりつく。 その後、シャンソン歌手と織物作家になり、両方の夢を叶える。 60歳のときに自宅を改装し、『アトリエ&かふぇ悠遊』をオープン。若い世代に食や健康に関する正しい情報を伝えるべく、さまざまなイベントや勉強会を企画・開催している。


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