吉村先生への大恩



2021.04.01
寺崎慈子


この頃、親の子どもへの虐待数の多いこと、子どもが親を殺めるなど

今までにない惨い犯罪が増えています。

その原因の一つに、お産が「自然のお産」とはほど遠い「医療による辛いお産」

になっていることが考えられませんか?

産婦人科医の吉村 正先生は、命を懸けて幸せなお産を実践され

伝えられた産婦人科医であり、全女性にとっての大恩人です。

だから「幸せなお産が日本を変える」「いのちのためにいのちをかけよ」

などたくさんの本を書かれましたし、

車いすになられてからも講演会を精力的に開かれていました。

私も、東京にいらした時の講演会に参加しましたし、

日帰りで岡崎市にある「お産の家」にでかけ、お目に係ることもできました。

講演会の時には、車いすから立ち上がり「金儲けの医者、出てこい!」

と激しく叫ばれる姿に驚くと共に、胸を打たれました。

本来のお産は辛いものでなく、医者が安静にしろと言うのと真反対に

身体を良く動かし

出産する身体を整えるのに相応しい食事をしていれば、

スポン!と自然に産まれるものだというのです。

お産という神の行為女性にしかできないし、

女性がお産をして子育てをすることは命の根本で、それを助けるのが男の仕事。

医者が妊婦を不安にさせ、責任取れないと自分も不安になりお産を益々複雑にして、

お金を儲けている。

これが吉村先生の持論であり医療に対する怒りです。

吉村先生の病院に学びに来た助産師さんが2000人、遺志を継いで全国に散っています。

助産師は昔は村長の次に敬われた存在だったのに敗戦後、

地位は落とされ絶滅危惧種と言われる位の存在になってしまいました。

私が3人目の子どもを失った時に、哀しいお産だった私の病室に、毎日声を掛けに来てくれた

助産師さんたちを見て、小学生だった長女は助産師になる決心をしたのでした。

その後自分が文科系なため、それを断念したけれど卒論にお産を選んだし、

選びに選んだ末、自分らしいお産をしたのでしょう。そんな気がしていしています。

そして、その想いが私に引き継がれたのではないでしょうか?

吉村先生が言いたかった事を伝える意義が、私にはある気がしています。

 


寺崎慈子

50歳のときに大病にかかり、入退院を繰り返す。回復後、与えられた命に感謝するとともに、「これからの人生は自分の好きなように生きよう」と心に誓う。 「自分が本当にやりたいことは何か」と自問自答した結果、“歌”と“織り”にたどりつく。 その後、シャンソン歌手と織物作家になり、両方の夢を叶える。 60歳のときに自宅を改装し、『アトリエ&かふぇ悠遊』をオープン。若い世代に食や健康に関する正しい情報を伝えるべく、さまざまなイベントや勉強会を企画・開催している。


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