復帰しました~



2021.07.22
寺崎慈子


私は50才頃に、腸閉塞という病気になりました。

大したことは無かったのですが、「これは腸を鍛えなくては!」と好きだった歌を

本格的に習おうと思ったのです。

 

 

子どもの頃から学芸会など歌わされるのが、嫌で嫌で仕方なかった私です。

「なんで私が⁇」とその頃は、人前に出るのが苦手だったのですね~。

それが、今では人前で歌うようになっているんですもの~ 人って代わるものですよね~💦

 

 

腸閉塞のあと、門を叩いたのがシャンソン界で異色の 槙 小奈帆(まき さなほ)という

作詞も多くされているマニアックな歌手の方でした。

 

 

其の頃はジャンジャンで、良く歌っておられましたし、自分の店を代官山の駅近くに持たれて、

お客様にお料理も出されて、時間になるとピアノのバックで、持ち歌を歌っておれました。

槙さんは、歌を教えるのは初めてという事で、友人が「一緒に行かない?」と誘ってくれたのです。

 

ドキドキしながら先生の前で、岸 洋子さんの歌を歌うと「譜面出しなさい」と一言!

なんの事かわからず、オロオロしていると、

その頃シャンソンを習っているおばさまたちが多く、その一人と思われたのでした。

私は「カラオケしかやっていません」と言うと「随分お月謝払ったわね~」と言われのです。

そんな風にレッスンが始まりました。

厳しいレッスンも私には楽しく、そのうちに、ジャズ、タンゴなども習うようになりました。

町田の方にシャンソンを習っている方が多く、

持っている雰囲気の違う友人と組んで、独自でステージをやったりしていました。

が、自宅をカフェにしてからと言うもの、

歌うチャンスが少なくたっていき、歌から遠のいていたのです。

もうこの年では、歌うこともないだろうな~と思っていたところが、

今年はありがたいことに、歌ってというお声がかかるのです。

 

 

歌にも復帰する年

 

先日は、クリスタルボールとシャンソンのライブと題して、

自分のアトリエの地下にある会場で5曲歌いました。

声量は衰えず、自分でもびっくりしましたが、

施術のツールであるクリスタルボールと、私の歌声の相乗効果は

お客様たちにどんなふうに響いたのでしょうか?

気になるところです。

 


寺崎慈子

50歳のときに大病にかかり、入退院を繰り返す。回復後、与えられた命に感謝するとともに、「これからの人生は自分の好きなように生きよう」と心に誓う。 「自分が本当にやりたいことは何か」と自問自答した結果、“歌”と“織り”にたどりつく。 その後、シャンソン歌手と織物作家になり、両方の夢を叶える。 60歳のときに自宅を改装し、『アトリエ&かふぇ悠遊』をオープン。若い世代に食や健康に関する正しい情報を伝えるべく、さまざまなイベントや勉強会を企画・開催している。


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