ピンクリボン闘病記
雨宮睦美
5年半ほど前に、右胸をちょこっと切りました。いわゆるピンクリボン案件です。どうもあの病名が気に入らないので、私はいつもピンクリボンと呼んでいるんですが、告知されたときからバンバンSNSに書いたり知り合いにメールして伝えたことで、かえって周りを動揺させてしまったようです。泣いちゃった年下の友人もいたし、「そんなこと突然言われた側の身にもなれ!」と怒られたこともあります。それは反省。
でも自分では、驚きやショックはなくて、「よーし、来るなら来い!」っていう感じだったのです。闘うべき相手がはっきりした、とも思いました。そんなこと言える(書ける)のは、幸運なことにほんとに早期で小さなものだったからだけど、今や10人にひとりは罹患する病と言われています。有名人の病状をマスコミが煽ったり、腫れ物に触るように扱うのには違和感がありました。だから、すべき治療を淡々と受けて、必要以上に恐れたり不安がったりしないでいたかった。結果、闘病記録は爆笑記録になってしまいました。以下抜粋でご紹介。
①確定前の生検で「貝殻ビキニは無理です・・・」
怪しいので組織を取って調べますよ、と言われた生検の時。問診した看護師さんに「質問あればどうぞ」と聞かれたので、「来週仕事で海外へ行くんですが、何か気をつけることはありますか」と尋ねたら「水着にはなりますか?」「へ?いえ、仕事なのでそれはないです」「あのねえ、貝殻ビキニは無理だと思うんですよ、傷口がね」「だから水着にはならないので」・・・どんな会話だよ全く。さすがに私をグラビアアイドルだと思ったわけではあるまいに。でもね、生検の傷口は貝殻で隠れる程度で済みました。ビキニは着ませんでしたけど。
②遺伝子検査の結果を聞きに行ったら
さて生検で調べたら「残念ながら確定です!」と言われ、切除に向けて準備を進めることになります。簡単な血液検査で、そのピンクリボンが遺伝性か否かわかる、というので、受けることにしました。子供はいないけど姪がいるので、念のため。そして指定された日時に、その結果を聞きに病院へ行ったときのこと。「失礼します」「ああ、雨宮さんこんにちは。」「こんにちは。よろしくお願いします」「あの・・・本当に結果、知りたいですか?「え?はい、今日はそれを聞きに伺っているので」「うーん、中にはね、やっぱりやめて、知りたくない、言わないでっていう患者さんもいらっしゃるんですよ」「そうですか。でも私は知りたいです」「そうですか・・・では・・・あなたの場合は、遺伝性・・・ではありませんでした」「・・・」だったら、さっきの「知りたいですか?」のフリはいらないよね!
③放射線治療で「治験にご協力ください」と頼まれて
手術が終わると放射線治療が始まります。「うーん、あなたの場合、多分やってもやらなくてもどっちでもいい感じだけど、どうする?」と担当医に言われて、「やるつもりでいますが」「ああそう、じゃあフルで25日はいらないから、16日にしましょう」というライトコース?になりました。なんだかいろんな局面でとても軽く扱われて、私にはこのゾンザイな医師たち、看護師たちの態度が結構快適でした。こちらには一大事であっても、この人たちにとっては、山のようにいる擦り傷程度の軽症患者なんだ、と思うと気楽になれたからです。
平日は毎日、同じ時間に通って、ほんの数分放射線を照射します。通うことの面倒さえ除けば、この治療自体はそれほどつらいものではないのですが、皮膚表面は若干火傷のような状態になって、ひりひり、カサカサしてきます。そこで先生から提案がありました。「今話題のヒルドイドっていう保湿剤をね、患部に塗っていただく治験があるんですけど、ご協力いただけますか?」断る理由もないので、快諾。謝礼は確か5000円。そしたら数日後「雨宮さんは抽選の結果、保湿剤を塗らないほうの被検者になりましたので、治療が終わるまで、一切何も塗らないでください」と言い渡されました。手持ちのクリームも軟膏もダメ。ひりひり、カサカサは放置で様子見て日記を書くのです。なんか損してないこれ??
重篤な症状を抱えている方もいらっしゃるので、なんでも笑って済ませるのは失礼だし不謹慎だけど、だからこそ私たち軽症者は、落ち込んだりしちゃいけないとも思うのです。5年間のホルモン剤治療は長いしつらい、と不安な方。大丈夫、過ぎてみればあっという間です!