夭折の詩人と知の巨人
雨宮睦美
汚れつちまった悲しみに
10代のある時期、「詩」に傾倒して、闇雲に読んでいた中に「中原中也」がいました。汚れつちまった悲しみに、です。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん、です。わかりやすいようで全然わからないような、独特の言葉遣いにひかれて、結構いくつもの詩を暗誦していました。父から譲り受けたボロボロの文庫本を持ち歩いたりもしました。ちょっとそういう自分に酔っているようなところがあったんだと思う。若さって恥ずかしい。。。
というわけで今回はちょっと感傷的に。
私は大学のゼミも中也だったのです。正確には「小林秀雄と中原中也」。え?小林秀雄って難しい評論するおじいさん(私が大学に入る前年に80歳で亡くなっています)でしょ?夭折の詩人とどういう関係?と思ったらなんと、このふたりは恋敵として有名だったそうな。
若く散るか生き永らえるのか
調べると中也は小林より5年後に生まれて、でも30で短い生涯を閉じています(私が生まれた頃にはすでに他界していた)。一方の小林は明治、大正、昭和にわたって、文芸評論家として活躍しました。ふたりが若い頃に知り合いだったのが不思議だけど、さらに同じ女性を取り合った、と言うのも驚きです。
恋多き女優、長谷川泰子
泰子さんというこの女性は女優で、中也と同棲していたのを解消して小林の元に走り、でもそれも長くは続かずいろんな人と浮き名を流し、生まれた私生児に元カレの中也が名前をつけるなど、波瀾に富んだ人生を送って、バブルが弾けた後に老人ホームで亡くなったそうです。ますます時代感覚がよくわからない。
つかの間の幸せな日々を歌った中也の詩の一節は、いつもチクッとした軽い痛みをもたらします。いかに泰子、いまこそは しずかに一緒に、おりましょう。