復帰しました~
寺崎慈子
私は50才頃に、腸閉塞という病気になりました。
大したことは無かったのですが、「これは腸を鍛えなくては!」と好きだった歌を
本格的に習おうと思ったのです。
子どもの頃から学芸会など歌わされるのが、嫌で嫌で仕方なかった私です。
「なんで私が⁇」とその頃は、人前に出るのが苦手だったのですね~。
それが、今では人前で歌うようになっているんですもの~ 人って代わるものですよね~💦
腸閉塞のあと、門を叩いたのがシャンソン界で異色の 槙 小奈帆(まき さなほ)という
作詞も多くされているマニアックな歌手の方でした。
其の頃はジャンジャンで、良く歌っておられましたし、自分の店を代官山の駅近くに持たれて、
お客様にお料理も出されて、時間になるとピアノのバックで、持ち歌を歌っておれました。
槙さんは、歌を教えるのは初めてという事で、友人が「一緒に行かない?」と誘ってくれたのです。
ドキドキしながら先生の前で、岸 洋子さんの歌を歌うと「譜面出しなさい」と一言!
なんの事かわからず、オロオロしていると、
その頃シャンソンを習っているおばさまたちが多く、その一人と思われたのでした。
私は「カラオケしかやっていません」と言うと「随分お月謝払ったわね~」と言われのです。
そんな風にレッスンが始まりました。
厳しいレッスンも私には楽しく、そのうちに、ジャズ、タンゴなども習うようになりました。
町田の方にシャンソンを習っている方が多く、
持っている雰囲気の違う友人と組んで、独自でステージをやったりしていました。
が、自宅をカフェにしてからと言うもの、
歌うチャンスが少なくたっていき、歌から遠のいていたのです。
もうこの年では、歌うこともないだろうな~と思っていたところが、
今年はありがたいことに、歌ってというお声がかかるのです。
歌にも復帰する年
先日は、クリスタルボールとシャンソンのライブと題して、
自分のアトリエの地下にある会場で5曲歌いました。
声量は衰えず、自分でもびっくりしましたが、
施術のツールであるクリスタルボールと、私の歌声の相乗効果は
お客様たちにどんなふうに響いたのでしょうか?
気になるところです。