PROFILE INTERVIEW
【PROFILE】
大学在学中にアナウンスサークルに所属しブライダル・イベントの司会を始める。以来、約8,000件の披露宴、約1,000件のイベントで司会を務める。
40代から葬儀司会に携わり、現在年間250件以上の葬儀司会に加えイベントも務めるマルチ司会者として活動中。
葬儀では、温かな司会をモットーとし、終活カウンセラーとしても活動、司法書士や行政書士などとコラボし、セミナーを定期的に開催。
2022年4月、葬儀で垣間見る家族や友人らとの心温まるエピソードを綴った著書「 また、いつか。葬儀司会者が見た人生・愛・終活 」を全国出版。
福岡県太宰府市在住。家族は28歳の長男。
あなたが今の仕事を始めたきっかけは?
– 少子高齢化の時代の波の中、公私ともにリセット。–
若い頃からブライダルやイベントの司会者として活動してきましたが、40歳を超えた頃、少子高齢化の中、ブライダルのあり方や形式も大きく変わってきているのを感じていました。
ちょうどその頃、プライベートでは離婚があり、公私ともにリセットしたいと思っていました。そんな時、知人から「葬儀司会をやらないか」と言われたことがきっかけです。
最初にお世話になった事務所では、司会のみならず、アシスタント業務など葬儀のイロハから教わり、自分自身の大きな力となりました。
その後仕事をしていくうちに、人が亡くなると、ご遺族は心身ともに多大な喪失感があるのに加え、しなければならないことがとても多いことに気づきました。そこで、事前に少しでも知識やノウハウを授けてさしあげられたらと思い、終活カウンセラーの資格を取得しました。
お仕事を通じて、どんな想いを伝えたいですか
– 葬儀は、人生のラスト・ステージ。花道を飾ってさしあげたい。 –
4月に出版した著書にも書いたのですが、葬儀って、人生のラスト・ステージだと思うんです。
人それぞれ、長い短い、さまざまな人生がありますが、それは全て尊い。亡くなっていく人は、遺される人にたくさんのものを遺して行きます。
故人様に「お疲れ様でした、ありがとう」と伝え、最後の花道を見送ってあげるためにあるのが葬儀だと思っています。そして又、ご遺族も、どんなに悲しくても辛くても、翌日からまた前を向いて生きて行かなければならない。涙を流して大切な人としっかりとお別れし、新たに歩き始めるためにあるのがご葬儀。「悔いなくお見送りできた」と思って頂きたいといつも思っています。
今は「直葬」も多くなっていますが、過分なお金をかける必要はありませんから、小さくてもいいからご葬儀をしてほしいと思いますね。
お仕事を通じて、どんな想いを伝えたいですか
– 葬儀は、人生のラスト・ステージ。花道を飾ってさしあげたい。 –
4月に出版した著書にも書いたのですが、葬儀って、人生のラスト・ステージだと思うんです。
人それぞれ、長い短い、さまざまな人生がありますが、それは全て尊い。亡くなっていく人は、遺される人にたくさんのものを遺して行きます。
故人様に「お疲れ様でした、ありがとう」と伝え、最後の花道を見送ってあげるためにあるのが葬儀だと思っています。そして又、ご遺族も、どんなに悲しくても辛くても、翌日からまた前を向いて生きて行かなければならない。涙を流して大切な人としっかりとお別れし、新たに歩き始めるためにあるのがご葬儀。「悔いなくお見送りできた」と思って頂きたいといつも思っています。
今は「直葬」も多くなっていますが、過分なお金をかける必要はありませんから、小さくてもいいからご葬儀をしてほしいと思いますね。
一番大切にしていること・ものを教えてください
– 「私が何気なく過ごした今日は、生きたくてたまらなかった誰かのあした」 –
上記の言葉を指針にしています。日々、亡くなられる方を見ていると、天寿を全うした方もいらっしゃれば、心ならずも若くして亡くなられる方も多くおられます。私たちの命は限りがあるのですから、今、元気で仕事ができることに感謝して、日々悔いのないように精一杯生きて行きたいです。
一昨年還暦を迎えましたが「今日が人生で一番若い日」と思っています。
プライベートでは、息子と2人暮らしですが、優しい息子で、私を助けて家のことも本当によくやってくれています。私が出張の時は、必ず私を案じるメールをくれます。彼の存在が私の大きな力になっています。
あなたのアコガレニストを教えてください
– 父の生き方が、私の人間形成に影響を与えた –
父ですね。ファザコンではないですが。生き方を尊敬しています。
早くに両親を亡くし、奨学金とアルバイトで大学を卒業、陸上自衛隊に入隊し定年まで勤め上げました。
苦労人なのに、それを感じさせない明るくユーモア抜群で、年を重ねても好奇心を失わない人です。正義感や利他の心が強く、自衛隊在職中は、災害救援にもよく行っていました。
その時、まだ子どもだった私に「もしかしたら二度と家に帰って来れないことがあるかもしれない。だが、たくさんの人の命を救って死ぬのだから、泣かないでほしい。その時はお母さんを頼む」と言って出かけていました。
幸いにもそういったことはなく、職務を全うしましたが、退職後もNPO法人の理事長として地域のために尽くし、80代で退任。
90歳を越えた今はお寺の総代として頑張っています。常に人のために尽くし、人の喜ぶことをしようとする、そんな父にはとてもかないませんが、少しでもそんな気持ちが持てればいいなと思います。
あなたのアコガレニストを教えてください
– 父の生き方が、私の人間形成に影響を与えた –
父ですね。ファザコンではないですが。生き方を尊敬しています。
早くに両親を亡くし、奨学金とアルバイトで大学を卒業、陸上自衛隊に入隊し定年まで勤め上げました。
苦労人なのに、それを感じさせない明るくユーモア抜群で、年を重ねても好奇心を失わない人です。正義感や利他の心が強く、自衛隊在職中は、災害救援にもよく行っていました。
その時、まだ子どもだった私に「もしかしたら二度と家に帰って来れないことがあるかもしれない。だが、たくさんの人の命を救って死ぬのだから、泣かないでほしい。その時はお母さんを頼む」と言って出かけていました。
幸いにもそういったことはなく、職務を全うしましたが、退職後もNPO法人の理事長として地域のために尽くし、80代で退任。
90歳を越えた今はお寺の総代として頑張っています。常に人のために尽くし、人の喜ぶことをしようとする、そんな父にはとてもかないませんが、少しでもそんな気持ちが持てればいいなと思います。