幸せなお産が日本を救う



2021.03.28
寺崎慈子


産まれる20年前から子育ては始まる私が”ママかふぇ”をやるきっかけになったのは、45年前のお産がきっかけでした。

お産に対して無知だった29歳の私は、医療に産ませてもらうお産を選んでしまいました。

その結果、出産の日にちを決められ陣痛促進剤を最終的に4本も打たれました。

我が子はまだ、世の中に出てくる時期でなかったのに無理やり出されてきたのです。

医者の都合による計画分娩で、促進剤が恐ろしいものだと知ったのも後のこと。

悔やんでも悔やみきれませんでした。

 

 

その時に産んだ我が子が自分のお産は人に任せず選びに選んで

自分にあった夫に支えられての幸せな助産院でのお産でした。

過去を謝る私に「ママの活動はそのお産があったからだし良いんだよ~」と

優しく言ってくれました。

 

お産ってこんなにも違うんだ~⁉あっぱれ!!」と驚き、

未だ知らない人がいると知って「若い方たちに伝えなきゃ!」と思っての出発でした。

 


寺崎慈子

50歳のときに大病にかかり、入退院を繰り返す。回復後、与えられた命に感謝するとともに、「これからの人生は自分の好きなように生きよう」と心に誓う。 「自分が本当にやりたいことは何か」と自問自答した結果、“歌”と“織り”にたどりつく。 その後、シャンソン歌手と織物作家になり、両方の夢を叶える。 60歳のときに自宅を改装し、『アトリエ&かふぇ悠遊』をオープン。若い世代に食や健康に関する正しい情報を伝えるべく、さまざまなイベントや勉強会を企画・開催している。


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