初の社会参加
寺崎慈子
私は40代から、消費者運動をしていました。
子どもを育てている時から「子どもに毒は食べさせられない」と生協の活動を始め
たのですが、生協活動は母となって初めて子連れでできる
貴重な社会参加の場だと思っています。
その流れから調布の消費者団体連合会に席を置いていました。
調布市に引越してきて、諸先輩たちの意識の高さにたじろぎながら、
その活動に付いていったというのが本当のところです。
テーマは幅広かったのですが「食の安全」と「環境問題」という事が主でした。
食の安全では駅前広場で、ジュースに入っている砂糖の含有量を角砂糖の数で表示して
駅に向かう高校生などに語り掛けていました。
又、環境問題では、ごみの最終処分場が満杯になることから
「ごみ減量」を主にやっていました。
その頃の吉尾調布市長は「ゴミでは票は取れない」と言われるのに、
しっかり取り組んでくれていました。
私たちは、市内のスーパーの店長を呼んで「スーパーバッグを無くして欲しい」と
話し合いをしたり、行政の清掃の方と話し合いを持ち、
その頃、先進市のごみ9分別を例に、
取り入れるよう申し入れをしていたのです。
紆余曲折はありましたが、結果として私たちの申し入れは聞き入れられ、
調布方式のごみ収集が出来上がったのです。
今から思うと、かなり進んでいましたね~私たち
その後、調布の実績は、東京23区、多摩の各市から見学に来る事となり、
次々に調布方式が広がっていきました。
ですから、私たちは「調布方式のごみ収集」の生みの親と自負しています。